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2022-05-17

躑躅(つつじ)の咲く季節・場所

5月の連休に撮影した写真です。ここはどこかわかるでしょうか? 答えは最後に!

上写真の建物敷地内の歩道沿いの植込みに咲くつつじを撮影した写真が以下の2枚です。

つつじは鮮やかなピンク色の花が印象的な植物です。桜(ソメイヨシノ)の花が終わりの頃から初夏にかけて開花します。

刈り込みができる性質から、生垣にもよく使われるほか、低木の街路樹の足元に植栽されるなど、さまざまな場所に植栽されています。花名は、花が筒状になっていることから「ツツジ」とつけられたといわれます。花名の由来はその他にも、花が連なって次々咲いていく様子から「続き」が語源となり変化していったともいわれます。

また、ツツジは「躑躅」と書くが、「見る人が足を止めるほど美しい」という言われに由来する。「躑」と「躅」はいずれも、たちどまる、たたずむ、の意である。そうです。「ツツジ(躑躅)」の花言葉は「節度」「慎み」。赤のツツジの花言葉は「恋の喜び」。白のツツジの花言葉は「初恋」。だそうです。

この季節によく目に留まり、立ち止まりじっと見つめてしまう花がつつじなんだなと由来や花言葉を知ってつくづく実感しますね。

さて、最初の写真の答えですが、場所は平和記念公園の西隣の広島市立本川小学校です。(以下写真参照)

今では小学校東門沿いに綺麗につつじが咲き誇る平和な景色が見れますが、約75年前には歴史的な惨状になった場所であったとの事です。市内の小学校としては最初の鉄筋コンクリート校舎として落成し、地上3階地下1階、L字型をしていたようです。1945年(昭和20年)8月6日、被爆。ここは爆心地から約410m(市公式)に位置し、爆心地から最も近い小学校となった。 爆風は窓枠を吹き飛ばし壁をくの字に曲げ、4000度もの熱線は校内を火の海と化し学具を燃やし尽くした。一瞬のうちに400人余りの児童と10人余り教職員が亡くなった。生存者は教員1名、生徒1名。翌7日、ここは臨時病院・救護所となり、校庭では多くの死亡者が焼かれていった。その後、校舎は最低限の補修を施され、翌1946年(昭和21年)2月には授業が再開した。その後も補修工事を繰り返し校舎として使われていたが、新校舎落成に伴い1988年(昭和63年)4月に一部を残して取り壊された。残された部分を活用して、同年5月から平和資料館を設置している。(本川小学校平和資料館の資料より)

「はだしのゲン」の作者が通っていた被爆小学校であり、本川小学校平和資料館は学校の敷地内にあるので、平日しか開館していない。館内の写真を見るだけでも行った価値あり。と言う方もおられるようなので、平日の空いた時間があれば、一度はいってみたいと思います。

広発工業㈱ 建築部 工務課 : T・Nでした。