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2021-11-09

雁木(がんぎ)

暑い夏も過ぎ、いきなり冬のような気温になり、秋がどこかへいってしまったかなと思っていると、秋空の爽やかな日に太田川の河川沿いを散策していた時に見つけた風景・看板です。

(看板標記内容)  みんなの雁木(がんぎ)

「広島市内の川には古くから雁木がつくられてきました。今でも雁木はしじみ漁の荷あげや水上交通の船着場として利用されています。」

広島の雁木を辞典で調べると「広島県広島市においては近世以降に水辺に昇降するため川の斜面に造られた階段状の港湾施設および護岸」となっていました。

一般的な雁木で調べると ①北陸地方や東北地方などの豪雪地帯で、軒から出た深い庇(ひさし)。雪の積もる時期はその下が通路となる。◇東北地方では「こみせ」ともいう。雁木(がんぎ)とは、飛行する雁の群れのようなジグザグに組まれた構造物 ②広島の雁木と同じ意味 ➂いろりに下がる鍋(なべ)などを吊るす先の曲がった木。 ➃目の粗い大型ののこぎり。   ⑤金属などを削るための目の粗いやすり。◇「雁木やすり」の略。

以上の様に、日本語は一つの言葉でも色々な意味で使われているのですね。難しい~!!

 

(もう一つの看板) 楠木の大雁木

【要約】 太田川流域は山がちで平地が少なく陸上交通の発達しにくい地形であった為、近世を中心に舟運が発達した。この楠木町を含むデルタ部の河岸は江戸時代から昭和初期にかけて太田川の舟運で特に栄えた地域で様々な船が出入し当地でも荷揚げ作業をする人達でにぎわいを見せていた。当時の主な荷物は薪炭・鉄・紙・枕木材等で、荷揚げ場は雁木と呼ばれ船着場に階段をつけた桟橋が利用されていた。 雁木は現在でも太田川のデルタでわずかにみることができる。 なかでも、明治の中頃になって改修された楠木の大雁木はとりわけ大きく、戦前までは横川駅から引き込み線も敷かれ、舟運の一中心であった当時を物語っている。

 看板左絵は昭和初期の風景                 建設省太田川工事事務所

歴史も変われば、人の流れ・生活・街並み・交通・風景も変わっていくのですね。それでも、どこの場所でも、この楠木の雁木の様に昔の面影が残っているものがどこかにあると思います。

広発工業㈱ 建築部 工務課 : T・Nでした。