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2020-04-13

建築物の命

2020年2月初旬の広島城  晴天で、気持ちのいい中でお堀の廻りを散歩中に撮影

広島市の中心地に位置する広島城は1945年原爆によって天守等が壊滅したが、1958年広島城天守(3代目天守)は鉄筋コンクリート造で再建され完成しました。広島城の別名は「鯉城(りじょう)」とも呼ばれ、広島東洋カープの「カープ」の由来にもなり、建築物として、今も息づいています。

2015年12月下旬の原爆ドーム 大阪から初めて広島に訪れた際に撮影

原爆ドームのもとの建物はチェコ人の建築家ヤン・レツルの設計により1915年4月に広島県物産陳列館として完成し、構造は一部鉄骨を使用した煉瓦造で特徴ある緑色のドームによって市民に親しまれていました。館は県物産の展示・販売、商工業に関する調査・相談等を業務としていましたが、美術展や博覧会など文化事業にも利用されていました。その後広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館と改称し、業務の拡大・縮小があり、官公庁等の事務所として利用されました。1945年8月原子爆弾投下により広島県産業奨励館の建物は一部の壁と最上部の円蓋鉄骨のみ残った建物となりましたが、1967年第1回保存工事から下記写真撮影時の2015年第4回保存工事により、現在も時代を越えて核兵器の廃絶と恒久平和の大切さを世界へ訴えるシンボル(世界文化遺産)として見守れています。

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2009年4月中旬の旧堺燈台 大阪府堺市大浜にて朝のウォーキングの際撮影

堺旧港南波止場に明治10年(1877年)築造された高さ11.3mの六角錘形の灯台。埋め立てが進み役割を終えた後、堺のシンボルの一つとして保存、現地に現存する日本最古の木造洋式灯台として国指定史跡になっています。

以上3つの建築物の様に、建築物には建築当初、人の生活の為に役目を果たし、朽ちてはいくが、歴史を越えて後世まで、残されていく物もある事に気づかされます。ここのところ、コロナウイルスの影響で時節柄、花見も自粛ムードになってきていますが、いつまでこの状況がつづくのでしょうか。でも、人は色々な困難を乗り越え、新たな時代(物・技術)を築き続けていく事と信じて、一日一日を有意義に過ごしていきましょう。

大阪(堺市)から移住して1年になる広発工業㈱ 建築・設計部: T・Nでした。